Aug 06, 2009
思い出に残る国内旅行の思い出
私はほとんどの訪問、国内旅行で忘れられないのが南九州横断の旅です。長崎県、熊本県、宮崎県、大分県の観光名所をめぐる旅で、私は私の母と南九州を満喫してきました。不安定な情勢にもかかわらず、夜景を眺めながら露天風呂に浸かり、テーマパークで異国情緒を満喫し、なんといっても雨の中でパワースポットを散策してきました。私は今でも、この九州横断の旅を現在、最高の国内旅行となっています。私は沖縄に住む41歳の男性だが、自分が中学校の時の卒業旅行は九州でした。それも船に乗って。小学校は覚えていません。以上のように高校生の時代にも記憶されていません。おそらく行きと思っています。または希望者のみで、自分は参加しないのではないかできなかったか。しかし、最近の卒業旅行はすごいですね。本土から簡単に沖縄にきたり、中に中学生が、小学生北海道。適当にしてくれと言いたいですが時代の流れでしょう。
◇原爆と原発、別物ではない
東京電力福島第1原発から、南西約60キロにある福島県石川町。戦前から有名な希元素鉱物の産地で、太平洋戦争末期には原爆開発のためにウラン鉱石が掘られていた。町立歴史民俗資料館の一角に、ウラン採掘の資料展示がある。置いてある鉱石は、今も放射線を放っていた。
日本の原爆開発は、旧陸軍から委託された理化学研究所(東京)の故仁科芳雄博士の研究室などが進めていた。ウラン採掘場となった石川町では、老人や女性に加え旧制私立石川中(現・学法石川高校)の3年生約120人が1945年4月から動員された。学生たちには履物も食べ物もなかったが、ひたすら鉱石を掘ってモッコで運んだ。
当時14歳だった元小学校長の有賀究さん(80)は、技術将校に言われた言葉を覚えている。「君たちが掘る石で爆弾を作れば、マッチ箱一つの大きさでニューヨークを破壊できる」−−。しかし、掘ったウランは少量だったという。
原爆は、天然ウランに微量が含まれるウラン235を抽出しないと製造できない。石川町に近い白河市に住む木越邦彦・学習院大名誉教授(91)は仁科博士の下で、天然ウランから六フッ化ウランを日本で初めて精製した。理研では、約60度を超えると気体になるこの物質を塔で熱し、比重差でウラン235を抽出しようとした。しかし、技術的に無理だった。「無理と結論を出した時、終戦になった」。その前段階で陸軍は「米国にも原爆製造は不可能」と判断していた。
45年8月6日、米国が広島に原爆を投下した。一報を聞き、有賀さんは「マッチ箱の話を思い出した」と言う。戦後は小学校の教員になり、再び悲惨な戦争を起こすまいと経験を伝えてきた。一方、原子力の平和利用には「甘かった」と振り返る。
福島県では71年に福島第1原発、82年に同第2原発が稼働した。絶対の安全性をうたう原子力に不信感を抱いたまま、電力や医療分野での平和利用は、良いことと考えてきた。震災後の今、思う。「広島や長崎の悲惨さにもかかわらず、平和利用だからと、なし崩しに考えてきた。原発事故は、原子力を甘くみたから起きた」
核をいかに用いるか。原爆と原発は、その問いの前で別物ではない。「被曝(ばく)」という結果は、人類に返ってきた答えだ。原爆投下、幾多の核実験、繰り返される原発事故−−。有賀さんは「核の平和利用を問い直す時が来たのではないか」と訴える。【矢追健介】
7月7日朝刊
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三次市が同市十日市南1のJR三次駅前、日本たばこ産業跡に建設中の十日市コミュニティセンターが完成。16日午前10時から落成式をする。
同市十日市中4の旧十日市公民館が老朽化のうえ手狭なため、移転新築した。敷地面積4762平方メートルに鉄筋3階建て延べ2223平方メートル。1階は事務室、会議室、調理実習室とホール。2階は講座室、ホール、3階は多目的室、和室、フローリングルーム。総事業費は6億326万円。
ホールは可動式座席200席を含め、400人収容可能。駐車場は当面40台で、将来的には隣接地へバスセンターなどを建設予定。【小原勝】
7月7日朝刊
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◇呉のミュージアムに
旧日本海軍の戦艦「大和」建造のため、旧呉海軍工廠がドイツから輸入した大型試験機が6日、所有する広島大から呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)に寄贈された。大和ミュージアムは今月半ばごろから解体・移転を進め、開館10周年となる15年中の展示開始を目指す。【星大樹】
試験機は長さ28メートル、幅4・4メートル、高さ5メートル、総重量420トン。水圧を利用し、鋼材などを引っ張って接ぎ手の強度を調べたり、コンクリートの柱などを圧縮して強度を測ったりする。1934(昭和9)年に同工廠で運転を開始した。「大和」建造期に使われたが、詳細は文献が残っていないという。
戦後は旧国鉄の鉄道技術研究所呉実験所を経て67年に同大工学部に移管され、明石海峡大橋(兵庫県)などの橋梁や鉄塔などの強度試験に使われた。約5年前から、老朽化で本来の能力を発揮できなくなっていたという。
同大東広島キャンパスであった贈呈式で、浅原利正学長から小村和年・呉市長に目録が手渡された。大和ミュージアムの戸高一成館長は「貴重な資料を入手できた。迫力とスケールを見てほしい」と話した。
7月7日朝刊
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